本年2月20日、最高裁は平成11年に山口県光市で発生した母親に対する強姦致死と、その子どもに対する殺人事件について、犯行時は18歳で現在30歳になる被告人の上告を棄却し、被告人の死刑が確定しました。
最愛の妻と娘を失った遺族である本村洋さんが会見の中で「判決に満足しているが、決してうれしいとか、喜びの感情はない。家族を守れなかった自責の念は今も消えない。」という悲痛な言葉には胸を打たれました。
最近、死刑制度に関して議論が盛んです。身近な問題というわけではありませんが、私たちの生活を守る大切な法律である刑法の話しですのでお読み下さい。
刑法が定める刑罰は、軽い方から順に科料、拘留、罰金、禁固、懲役ときて一番重いのが死刑ということになります。世論調査では、死刑制度には85パーセントの国民が賛成しています。凶悪な罪を犯した者には、場合により死刑が下されることもあると誰しもが自然に理解しているということです。
現在、死刑確定者でいまだに執行されていない者が120名ほどに上っているといわれます。死刑が確定した者には、法務大臣が6ヶ月以内に執行命令を出さなければならないことが法で決められております。しかし、法務大臣が自己の信条やら、制度に関する独自の見解を理由に執行命令を出さないのです。わが国は3権(司法、行政、立法)分立の法治国家です。司法が下した判決を、大臣の私見によりこれを執行しないことは、司法の判断をないがしろにするもので許されることではありません。
ところで、世界を見ますと刑罰として「死刑」を定めている国が78か国で、
「死刑」を定めていない国は117か国です。刑罰制度は、その国の歴史や文化とおおいに関わります。それぞれの国の事情が刑罰制度に色濃く影響しており、「死刑」についても国により考え方が異なることがわかります。
最近、裁判には誤りがあることがあり、死刑はこれを正す機会を奪うから廃止すべきという意見も耳にしますが、これは裁判の審理の方法の問題と考えています。つまり、疑わしいときは被告人の利益にという裁判原則を、より厳格に適用する必要があります。また、ちょっと難しい話ですが、刑罰は犯人を更生させて社会に復帰させることが目的だから、死刑はその機会を奪うものであるから廃止すべきという意見もあります。しかし、刑罰は犯人を更生させることも一つの目的ですが、一方犯人に対して、犯した罪に相応する罰を加えることも目的の一つです。犯罪があまりにも凶悪な場合は、ときとして死刑が下されることがあるというのが国民の理解でしょう。
さきほど、刑法は国の歴史であり文化といいました。刑法は、ある「行為」を「悪いこと」と考え、これに国家が「罰」を科すことについて、誰しもが納得する「行為」を列挙したものなのです。国の統治がきちんと守られることや、国民一人ひとりが毎日安心して生活できることと密接に関係します。ですから刑法はその国の歴史、文化が反映したものと理解できます。
誰しも、およそ何が罰せられる行為(犯罪)かは理解しています。この「常識」は、「社会倫理」と呼ばれます。社会倫理は、国の歴史の中で、国民の間で長い時間をかけて徐々に醸成される常識であり通念といってもいいでしょう。誰しも社会倫理として、重い罪には重い罰が科せられるべきと考えています。死刑に関して見れば、殺人など凶悪な罪を犯した者には、犯行の態様などを見て、死刑を科すべき場合があると考えるのが社会倫理として国民の間に自然に受け入れられているということです。
国民の常識や通念も、社会の情勢の変化により影響を受けるわけですが、例をあげます。 お年寄りの方はご存知でしょうが、かつて刑法に「姦通罪」なるものが規定されておりました。夫がいる妻が他の男と通じた場合は、姦通罪として2年以下の懲役としました。この場合、相手の男も共犯として同罪です。妻がいる夫が他の女と通じても罪にはなりません。戦地に赴く兵隊さんを励ますために出来た刑罰です。しかし、戦後になり憲法の男女平等原則に反すると批判され、妻がいる夫が他の女と通じた場合も同様に罰するようにすべきという意見もありましたが、結局は削除ということになり世の男性を安心させました。お隣の韓国にも「姦通罪」があり、これは儒教の影響でしょうか妻、夫を問いません。ただ今後廃止の方向のようです。わが国のことですが、親殺しを通常の殺人より重く罰した「尊属殺」の規定が削除されたのは、つい最近の平成7年のことです。これとは逆にこのような「行為」は刑罰を科すべきとして、昭和62年にあらたに刑法に登場したのが「電子計算機損壊等業務妨害罪」です。業務用のパソコンの操作を誤らせて業務を妨害する行為を罰するものです。今の時代を反映していますが、罰が5年以下の懲役または100万円以下の罰金であり通常の業務妨害罪より重い罰になっています。
話しは変わりますが、犯罪被害者は適正な刑罰が下されることを強く望んできました。従来の判決は犯罪被害者の実情を踏まえず、被告人の言い分に引きずられた偏った判決が多いと批判してきました。このような犯罪被害者の切実な声が世論を動かし、ついに平成16年に「犯罪被害者等基本法」が成立しました。その3条には「すべての犯罪被害者等は、個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有する。」と明記され、犯罪被害者等の権利が法的に保護される利益であることが初めて確認されました。これを受けて、犯罪被害者の「刑事裁判参加」、刑事裁判の手続きの中で経済的補償内容を決める「損害賠償命令」など、犯罪被害者の権利回復のための法制度が次々と成立した次第です。
犯罪被害者は、ただ感情に任せて厳しい判決を望むものではありません。犯罪の具体的な態様(動機、犯行の方法、死者の数、犯行後の対応、反省の程度など)を総合して、裁判官に対し犯行に見合った「適正な判決」を望んでいます。今回の判決を受けて、「厳罰化が進んだ」と論評する新聞記事がありましたが誤りです。裁判員裁判を見てもわかるように、裁判官も市民である裁判員も「この事件では、どのような刑罰が適正なのか」真剣に悩み決断を下しております。裁判員裁判での死刑判決も何度も出されておりますが、この判決が従来の相場より仮に厳しかったとしたら、それは従来の判断が誤っていたものであり、けっして出された判決が「厳罰化」したというものではなく、より「適正な」判断がなされたと理解すべきです。
(平成24年4月)